2025/6/2

有為転変生滅日記とは

[有為転変生滅日記]
(ういてんぺんしょうめつにっき)

※要約して読むくらいなら、読まない方がマシです。
※自己紹介も兼ねて、な内容になりました。

[有為転変 この世の現象は、因縁の絡み合いによって生じたものである。]

タロットはそれを1つずつ解き、その複雑な世界を象徴的に展開してくれます。

そこからどれだけのものを汲み取れるのかは、解読者と、その解読内容を受け取る人によります。

そして更に、日常で、自分自身でどこまで活用、実践できるのかで、個々の道の進み具合にも差が現れ、
それは着実に違いが出てきます。

止まる人、後退する人、脱線する人、落ちる人も、一般的に普通にいます。

自覚できるか、修正できるかでも、更に分岐していきます。

イノのタロット占いの場は、世界全体の中の小さな一部である、個々の道を示し、
その時々の優先事項を場に現します。
(個々人の小さな意識での優先事項と、世界全体の優先事項は根本的に違います。)

1つの現象を理解するのか。
複数の現象を理解するのか。
1つもできないのか。
あるいはしようとしないのか。

同じカード、マニュアルを使用し、同じ占い手が行っても、受け手の理解の度合いには雲泥の差が見られ、
反応には個人差があります。

しかし大概、席に着く前から理解の度合いの結果は出ているように思えます。

受け手が占いの場に現れた時から、去るまでの間、どのようにその場に在るのか。
理解度と同じくらい、100%近くまでできる方と、0%のまま終わる方には差が見えます。

当然の流れとして、日常に戻ってから、タロットを通した啓示の理解、吸収の度合いにも差が出てきます。


[有為転変 常に定まっていて変わらないということはなく、常に移り変わること。]

世界の現象が変わるように(そこには1つの流れがありますが)、
私自身も変わり続け、固定されていません。

過去は過去として活用しますが、常に最新の自分があり、常に今が最も進んでいる状態であるという自覚があります。

記録は固定であり、過去の分析の材料でしかなく、
そもそも個々に違うのであるから、「私」を残す必要はないと考えています。

時々見かけるのですが、遡り吸収しようとする行為や、
直接関わることはせず、文章などから私というイメージをつくられることや、
固定されることは好きではありません。
(正直それらは、やられる側からしたらただの気持ち悪い行為です。)

実際10代~20代の頃によく言われたのは、
ブログ、メール、電話、対面で全てイメージが違うどころか、会う度に違う、という言葉です。
想像やイメージ、印象とはそんなものです。

「直接会いましょう!それが一番イイ!」

色々と長年言葉にして表現してきましたが、そのような動きにうんざりしている自分がおり、
最新の1記事のみで十分と考えています。


[生滅 生ずることと 滅すること。 生あるものは 必ず滅する。]

タロット占いを専門として提供しますが、霊的な分野全般のエキスパートです。

子供の頃からの天然の能力者ですが、家系の遺伝ではなく、魂の経歴として自己に引き継いできたものが沢山あります。

例えば、自分自身については、個の魂や意思の生まれる前、母体に受胎する前、複数の前世について、知っていることがあります。
(以前書きましたが、個の魂は既に大元に還り、今はその大元が肉体に入っています。)
死後の世界の一部に関わったり、前世の自己や死後の自己とも対面しています。

(対面した前世の私は、現世の私が、ある賃貸の特定の場所で寝て、ある日前世とのゲートを開くことを知っており、開いたゲートからこちらを見ていました。
一週間そちらの世界とのゲートが開いていましたし、家族も目撃しています。
これは実際の体験談の1つでしかありませんが、私は自分の魂を時空間を越えてコントロールできる魂でした。
同様に他者や人以外の魂、霊的な世界や存在も時空間を越えて色々できますが、それらは本当に必要な場合に限り行います。
ですのでどのような人がどうなるのか、当然知っていますので、今世ではタロットという形で助言していくのです。
人々が長い間、神話や伝説、不思議や神秘として語り続けてきた高下の世界や存在も、創造と消滅が可能です。
ある時、ある場所に祀られている存在に呼ばれて処置を行った後、そこを訪れた赤の他人が、神様が2人になっていたと言っていたそうです。
皆さんが関わっているものは、本物ですか?
それとも、人間の世界に残してあるカラの残像や、人の個人的な空想や思念の産物でしょうか?
恐らくそれらは、あなたの希望通りの言葉や見聞きしたことのあることを語りかけてくれるでしょう。)

他、色々ありすぎて書ききれません。

占いを受ける方は、このような人物に関わるのだ、ということくらいは知っておいた方が恐らく良いと思います。

師や先生はおらず、自ら体験し、学びのためであれば結果的な死をも恐れずに、自分自身で実験をしていきます。
(他者や動植物他、全ての生命を利用して、観察、分析、実験をしているような活動にはヘドが出ます。
自分自身を捧げられないなら偉そうに発表しないで欲しいです。)

その結果の更新です。

どうも、終わらそうとしても、そうもいかない。
記すのをやめても、どうしても何かが届き、出すまで次に進ませてくれない。

発信は、他を意識した戦いや操作ではなく、私という存在に課せられた義務のようなもので、止めると気持ち悪くなるのです。
重要なものはずっと残っていて、忘れさせてくれない。
(霊的な現象や存在が、勘違いや気のせいだと思っている間、はっきり認識するまでしつこくずっと続けるのに似ています。)

日記は自分が進み続けるために必要です。
(何かを伝えてくる方も、必要なのでしているので、あまりにも放置すると時々必死になります。)

長年の間にわかっていることは、出すまでが私の役割であり、その後は関与しないということ。

責任は、その言葉をその後、扱った人の責任になります。

言葉をなぞられる事は日常的でしたし、なぞっている人々は、自ら生んでいないため止まっており、中身もスカスカなままです。

つまり重要なことは、出している情報ではないということです。

ですので1つで十分なわけです。

霊的なエネルギー、生命そのもの、多次元等を扱えるため、
創造そのもの、生じる、生じさせるという現象を現実の世界や霊的な世界に顕すことができました。

もちろん生滅の滅もできますが、一度生命となると意思が生まれるため一方的にはできなくなります。
これは責任重大なのです。
(生命をいじくり、好奇心で遊びつくし、生滅を一方的にやり続ける行為は、無責任で野蛮な行為です。
それがずっと発展し続けてきたということは、人が成長してこなかったことを証明している姿です。)

影響の大きさから力を使わないことを選択し、シンプルな占いを行うことにしました。

これらの話は、信じる必要はなく、質問も相談も基本的には受け付けておりません。
(「本格コース」や枚数の多い展開では高度な話も必要になるかもしれません。)

あくまで占い師として、タロットが場に出してきたものをお伝えします。
(霊的にわかることもありますが、占いを占い料金設定で提供致します。)

日記は、アウトプットをして1つ1つを終わらせるための手段であり、
興味がある方がたまたま読んでいただければそれで良いのです。

「私のアウトプットに付き合ってくれてありがとう!」

そんな私は、生ずることと滅することをよく見てきました。

有為転変同様、生滅も似たような変化の1つととらえています。

記しては消し、生んでは滅する。
病、性格、パターンなどの表現にもうんざりしていますが、世界そのもの、生命そのものの動きです。
(何でもかんでも病名にしてレッテル貼るのって、かなーり失礼なことをやっていますよね。)

その一部として、これを体現しているに過ぎません。


[日記 事実の記録。]

霊的領域のエキスパートと、生身の体では全く認知、感知できない方とでは、
事実の認識は異なる、ということは大前提です。

承認も証明も不要です。

当然ですが、霊的な能力や感覚を否定しがちな世界とも異なります。
が、それはどうでもよいことです。


[日記 出来事や感想のまとめや記録。]

これはレポートや主張、情報提供や解説ではなく、印象に残ったことを記す個人的な日記です。

レポートの書き方と話し言葉は違うという話もありますが、レポートではありません。


[日記 後々まで残す必要のある事柄。]

個人的な物事だけではなく、世界の物事について知らせが届くことがよくあります。

個人的なことは予知が日常茶飯事です。
世界のことは不意打ちで「今回はこれが出たか~」という感じです。

秒で現象を創ることもできるため、自分を制御することが最重要です。
力には高度な精神が必須です。
無い人が力を得て何かをしても、世界が崩壊するだけです。

(勘違いしている人が多いようですので、専門家として詐欺に合わないように注意を促しておきます。
力の強さは、精神的に高度であったり、人としての徳の高さとは無関係です。
それは人がどんなに精神的に成長していなくても、技術やそれを発見発展させるための閃きが起きることと似ています。
力は自動的にでも、いくらでも、強くすることができます。
無理矢理霊的な存在と繋がりを作ったり、翼を作ったり、色々書き換えたり、外したりしますが、
行っている人がちゃんと理解して、リスクや注意事項も悟り尽くした上で行っており、
その処置が本当に必要なのか、正確に判断できているのか、わかりますか?
力の強さ=人間として神に近いすごい人、では全くありません。
勿論、知名度や人気度は丸であてになりません・・・。
そんな自分を演出している人と接触したこともありますし、そのような人に直接弟子になっている人とも対面したこともありますが、
その誰も、私がそれなりの能力者であることさえ見抜けませんでした。
プロの心理学関係者も同じで、自分から闇がモクモク出ていても私を詐欺だと言いふらしたりして、
資格や立場、表向きに構築している信用度なんてものは看板に過ぎませんよ。
例えエネルギーワークなどで感じられる力が強くても、それはすごい人だからではありません。
それは単に力がすごい人であり、すごい人とイコールではありません。
イコールの人は実際には少ないのですし、そういう方は組織にも属しておらず、研究や実験の手伝いなどしていないと思いますよ。
またある程度までいけば、人に見せたい映像を見せたり、感じさせることは容易です。
できることと、やってよいことは違いますが、それをしっかり理解できている人に依頼しましょう。
良い人と善い人は違うのに似ていますね。)

タロットは人間の根本を叩き直すことができますので、力を求めるのであれば、本気で取り組んだ方がよいですよ。

これまでの全てと、これからの全ては、1つの流れの中にあります。

残す場所は、デジタル空間ではなく、日記に触れた個々人の中。

残すものは日記の内容ではなく、日記に触れた個々人の中に浮かんだ印象、それである。

「あなたの個人的な、他人にわかる必要もない、主観的な印象。私はそれを尊重します。」

タロットは、それを育てる場であり、自分でひっそりと灯す、目に見えない光です。

あなたに見えていればよく、あなたが感じられれば良い光です。

そしてそれは、あなた自身によってしか、光を増すことはできません。

あなた自身以外に、それができるものはありません。

ヒーリングやエネルギーワークもできますが、やりません。
他者にしてもらって、時々受けて、それで満足ですか?

自分自身が高度な世界に属せれば、必要なエネルギーや修正、処置、
勿論イニシエーションと呼ばれているものでさえ、自動で来ます。
(そもそも、人間が人間にイニシエーションを施すって・・・えーっと、何してるの?っていう感じですよ。)

自分自身を改革しましょう!

ということで、自己紹介も兼ねてしまいましたが、有為転変生滅日記とはこのような性質の記(き)です。