2025/12/30

答え合わせ4

本日は以前書いた「本能で危険を察知」のエピソード2の答え合わせの続きとして、少しお話ししていこうと思います。
間もなく1年が終わりますが、カレンダーイベントを気にしない私は季節感無しでいかせていただきます。
ちょうど書いている内容も、時間が止まっている人々のお話しです。


エピソード1の答え合わせはこちら
答え合わせ1」「答え合わせ2」 

エピソード2の答え合わせはこちら
答え合わせ3」 


前回はエピソード2で、私のとっていた行動の理由をお話しし、実際の建物事情と合致していたことがおわかりいただけたかと思います。
人様が見たら奇行でも、自分自身の感覚でもその時はよくわからなくても、ちゃんと1つ1つ見ていけば、十分な理解まで辿り着けます。

以前から何度か書いてきたことなのですが、改めて雑談から。
考えてもわからないこと、答えなんてないと言われるようなこと、考えても無駄だと馬鹿にされるようなこと、よく見かけます。
そのような生き方の人の方が公言する傾向があるため、そうではない人は公言できにくくなるものです。
そもそも人前で発信することに、興味もないかもしれませんが。
しかし私から言わせると、考えて答えに辿り着けなかったことがなく、考えて無駄だったことはなく、考えてきた人とそうでない人の雲泥の差はよーく感じます。

考えてもわからない場合、わかるまで考えていないのです。
答えなんてないという場合、答えに辿り着けたことがないのです。
考えても無駄だという場合、考えることで得られるものを得たことがないのです。
私にとってこの意見の違いは、単純なものです。

時々、深く考え過ぎだと、考えても無駄だと、それをネガティブであるとか、精神や心・脳の問題であるかのように評価され、自分の傾向を否定してしまう方が見られます。
そして本来の自分のスタイルとは真逆の、それを否定する人々の考え方などを参考にする本を読んでみたり、それを目指す努力をするようになる方もいます。
明るく、いつまでも悩まず、軽く、スピーディーで、楽しそうに見えるのかもしれません。

因みに、明るく前向きなことと、善良で純粋な魂や本質であることは全く異なります。
わかりやすい表現で言うと、
自分自身の光が強くなる程、闇がはっきり区別できるようになり、色々と見聞きしていられなくなるものですが、人の世界とはそんなものです。

考えられること、考え続けられること、自分なりの答えや、時には自分以上の理解に辿り着け続けられること、素晴らしい才能です。
それでいいのです。

それと同様に、私のように感覚でもわかる方。
他者が理解できなくても気にしないで下さい。
感覚の人は瞬間的な理解や悟りも日常的にあるかもしれません。
考える場合も、瞬時の場合も、啓示的な場合も、透知の場合も、何かが教えてくれる場合も、それら全てを自然に使って生きていけばよいのです。
ただし、想像・妄想・空想は理解や答えには邪魔になりますので、自分の傾向を知り、区別しましょう。
あらゆるマニュアルは参考にしかなりません、そのうち必要なくなるでしょう。
世界は多次元であり、時空間を越えられる存在はいくらでも存在します。
経験や接触がないのであれば、世界に対象とされていないか、段階としてまだ至らず、その意図が働いていないだけです。

品の無い組織的な人々が、笑いながら鬼の姿で自然の領域に土足で踏み入り、毒が残り大変に困っていると、助けを求められたこともあります。
残念ながら今後もそれは増え続け、無自覚な破壊は悪化し続けることが決まっていたため、それらは別次元に避難する事になりましたが、そういうこともあります。
今回紹介している3つのエピソードは人間霊ですが、人間霊以外との接触の方がはるかに回数が多いです。
皆さんに関係の深そうなところを抽出して書いています。


それでは首吊り自殺した社長さんのお話しをしましょう。
この社長は、肉体を終わらせる事はできましたが、人生を終わらせることができなかったのです。

人が自殺を決行したことに対し、それ自体を否定することは何の救いにもなりません。
自殺を否定する人が、自分自身がその人として生まれ、完全にその人としてそれまでの人生を送った時、自殺せずに生き続けられる保証はどこにもありません。
精神の問題と、社会的な問題でも違います。
自力で解決できる術がない人に、具体的な支援をせず、ただどんな言葉を投げようとも、現実が変わらなければ救うことはできません。
特に経済的な問題は、人の世にしか通用しないものでありながら、あらゆる人生を侵食し、本来の姿を失わせていきます。
今回の社長がそうであったように。

この社長の問題は、物理的な、具体的な問題から逃避するために、物理的な肉体を終わらせ、物理的な世界から去ることを決行しました。
決行まで行く場合、物理的な肉体へのお別れは、これでいいと完全に思えた場合に行われます。
しかし肉体は終わらせられても、社長という地位、自分の会社という場所、自分の手掛けている仕事という、肉体を持っている間のアイデンティティを終わらせることができなかった、ということです。
この社長には心も思考も働いていないのと同じようなもので、ただ立場、場所、仕事、それだけで保たれている存在でした。
だから私を見る視線も、スタッフを管理する立場として、ただそれだけからの視線のため、熱や圧といった感情的なものは何もなかったのです。

この社長もまた、エピソード1と同じように、この場所を失えば、自分という存在を保つことができなくなり、さ迷いながら崩れ、行き先のわからないまま、人の世界の近くから出られないままで過ごすことになります。
どうやらお払いは1度はしているようでしたので、当然ながら戻って来たのでしょう。
そこでしか社長として存在できないからです。


これはよく言われるような「心は永遠である」というものではありません。
ずっと間違えているのですが、何でも美化され、耳障りの良い言葉になり過ぎているのが原因です。
心が残るのであれば、次への移行は完全にはできていません。

ただ、死んだら無である、と生前知識で知っていた方が無宗教で人生を終えたのを見た時には、確かに無ではあるが、酷く暗く重くなっており、ちょっと見ていられない状態でした。
確かに、自我はないのですが、生前に質を上げることはできていなかったのでしょう。
実際には自分に相応しいところに繋がりますので、個々に違います。
みんなで、という状態の場合、宗教の信者たちがまとまって捕まっているのも複数見てきたため、それも本来は違いますが、あくまで私のスタンスは「自分がそれでよいのであればいいんじゃない、ご自由に。」ですので、誤解なきようお願い申し上げます。
割りと熱弁はしますし、警告もしますが、それだけです。


ということで、自殺という死に方の問題ではなく、本人が納得の上で人生を終え、本当に完全に終わらせられるのか、です。

と言うのも、病死したある社長さんの場合、自分自身であまりお医者にもかからないことを選択して終えたようですが、ロボットの姿で自分の会社にへばりついていました。
私が見た時に、こちらに気づいて一度振り返っていましたが、特に反応もなく、会社の人たちの仕事をずっと見ていました。
こちらも肉体の死には納得しても、仕事や職場、プロジェクトを終えることができず、人の世に執着して残ってしまったケースです。
自分自身がロボットになっているのですが、これはただの霊体です。
願望がそのまま出ており、その願望だけでできている存在です。
社長という願望で、スーツを着ているのと同じです。
天使になりたい人間が、天使の格好をして人に近づくのも同じですが、これも中身はただの人間です、区別できますか。
人がロボットの体で生き、その開発などが長年続き、いつか社会がそこに違和感を感じ興味を失い、そのプロジェクトが終わり、ようやくこれは違ったと、当人が完全に納得し悟るまで、こちらの社長は人の世のごく一部の世界観にへばりついて生きていきます。
それは半永久的に可能ですので、いつまでもそうしていられますし、願望ですのでエピソード1と同じように、苦はありません。
感情も思考も失ってもそうしていられます。
そのように足を引っ張りあっているのが人の世界で、沢山見られますが、生きている間も、死んでも、話しを聞ける人はどれくらいいるでしょうか。
こちらロボット社長もそれ以外を知らず、出る方法もわかりませんので、悟った後からが本番です。
では体を用意すれば死後も永遠に生きられるということでは、と思う場合、浅はか過ぎます。
何もわかっていない人の考えです、が、毎回違うものですので一例毎に説明してもあまり意味がありません。


私の場合は、いつ肉体を終えても問題ない状態になっています。

いつ肉体を終えても、完全に終われそうですか?
生身の人、霊体の人の居る世界以外に、あなたは行き場所を知っていますか?

これは願望や希望、知っているだけでは無理です。
自分を受け入れて貰える先がなければなりませんが、人は長い間、人の世界のためだけに存在し続けています。
本来、人は人のためだけの生命ではありません。

あなたを受け入れてくれそうな世界はありそうですか?


自殺の決行者を救いだした結果、植物人間のまま生き続けたり、後遺症で社会復帰は出来ず、再度実行しないように施設に管理されたりしている現状もあると、読んだことがあります。
自殺未遂の結果、他者を応援する側になり、生きていて良かったと話せる人しか見聞きできない場合、それは救われた人にしか見えないでしょう。
これは全ての人の結果ではありません。
きれいなものだけが人に流れてくるだけです。
きれいなものだけを見聞きしていると、気分が良くなり、実際に明るい毎日を送れ、人の世が輝いて見えることでしょう。
そのような人が、人の世から離れられなくなるのです。
それもまた、いつかまで、そうしていることでしょう。
肉体を救うことと、魂を救うことが、必ずしも一致するわけではありません。
肉体を救うことしかできない方は、それを一生懸命に行うでしょう。
決行までいった人の決意を甘く見過ぎることはあってはならず、本当に生きたいかどうか、生きるべきか、冷静に確認できないのであれば、人ができる限界を理解しておく必要があります。
それは人命を軽く扱うことはあってはならないと話すことと同等に、重要な現実です。


人は安楽死を選択することができます。
それは人が人に施すものであり、人は人と話し、納得した後で決行できます。
しかし人は、人以外にも膨大な生命に安楽死を行ってきました。
この決行は、行う側、人の罪悪感を軽減しているだけであり、一切、罪の軽減にはならないことを知りません。
実際、肉体の苦痛から解放してあげられるのかもしれませんが、その苦痛は人のためだけに与えられたものである場合も多々あります。
人が人以外を軽んじていることは、それに関わる全ての人が負います。
生きている間には気づかないかもしれず、肉体を失っても気づかないかもしれませんが、いつかはその報いの精算が始まります。


それでは、今回は人の近くに残ってしまうケースについて、少し事例を紹介してみました。
幽霊が沢山居るということは、それだけ人の世から去るのに失敗している人が多いということです。
当人にはわからないからそうしているのです。

また今回、ブログを書くにあたって、あまりにも長期間自殺者に近づき過ぎました。
事故物件や死者に興味を持ったり、探究したいと思った場合、安全な距離感や接続時間で行って下さい。
ちゃんと今という現実世界も生きて下さい。
影響は、自覚の有無に関わらず、意識を向けた瞬間から始まり、未熟な場合はその繋がりをこちらの都合で切断できません。
自ら繋がりに来る生身の人間を待っている者もいます。
肉体は鎧です、生身であるからこそ守られているものもあります。
何もわからないからこそ、リスクを軽減できるというのもあります。
何もわからない者を洗脳し、足を引っ張る生身の人間も沢山います。

安全性は、自分自身の個人的な質の高さにかかっています。


今という人生を深く、納得しながら生きて終えましょう。

次の1秒で肉体が終わった時、あなたはどうするのでしょうか。

ではまた来年。