2026/2/10

無宗教・無党派

・無宗教・無党派、それは私。

宗教に関しては、いくつもの人生の中で、複数の宗教で人に教えるような立場になるまで学んできているため、今回は改めて特定の何かに集中する必要がありません。
弾圧対象になる人生も、弾圧する側であった人生もあり、その上で宗教による争いをしていると、戦いは永久に終わらないと述べているのです。
そこには勝者も敗者もおらず、お互い学び直しです。
そして多くの信仰によって死後も捕まっている人々を何パターンも見てきているため、1つの宗教が全てではないことを理解する必要があると述べるのです。

政党に関しても、特別こだわっている党はありません。
実際に与野党の色々な党に投票してきており、前回どこに入れたか忘れるくらい、投票先自体へのこだわりはありません。
これは初めて投票した時から変わっていません。
その時々で決めます。

ちょうど選挙が終わりたてなので、「基本無党派な私の場合」を少し話してみたいと思います。
日本ではあまり政治に関してアレコレ話す機会がありませんね。

私はSNSはnoteの1つしかやっておらず、動画などもあまり視聴することがないため、今回見かけた党の広告は2つの党だけで、10回もあったかなぁ??くらいでした。
もっとあったとしたら、全然印象に残っていません。
広告は商品と同じく、選んでもらうためのアピールが目的のものだと思っています。

私が参考にするのはまずテレビです、後は選挙前に入ってくる一覧です。
全ての政党が並べられ、判断基準となる要素がわかり、それらが変わると随時対応してくれていて、複数の中から選択するのですから全部が揃っていた方がよいのです。
一覧の紙を開ける時はいつもワクワクしています、今回はどんなのが揃っているのかと見るのが楽しみなのです。
テレビでは政治に関して長く携わっている人で、普段から公平なコメントをしている人の話しは聞く価値があると思っています。
普段からのコメントや態度が、重要な時により価値を持つのです。
そして一般の生活感覚を知っている人のちょっとしたコメントは、一般国民でも共感できたりするわけです。
それぞれが一国民として発言する瞬間や、自分と共通するところがある人や企業を見かけると、パッと希望を感じることもあります。
政党のトップ同士が話したり、勢揃いするものは面白いのです。
個人的には、仲良い人とそうでない人で対応が天地の差の人は、外交力がないのではないかと思ってしまいます。
態度や顔に出ている人を見ると、とても残念です、プロ意識の違いを感じます。

そんな感想を持つため、1つの党の自分推し!に乗っかっていくよりも、色々な人の価値観が見られるものを私は好みます。
今回は他党の批判をしないと誉められる一方で、支援者の一般人は人前で他党の悪口を言いまくっていたりしていたようで、半分は悪口、半分はだんまり、そんな場面があったそうです。
そういった支援者を含めた全体で見ています。
どのような性質の人が、ここに共鳴しているのかも見ています。

そういった中で情報が欲しいものがあれば、個別に党や当人のホームページを見に行くこともあります。
動画ではないんですよね、本人や関係者自身の言葉を知りたいので、大概直接確認します。
ニュース記事も見ます、でも情報戦にうんざりしているためあまり好きではなくなってきています。
そんな感じな上にミーハー度ゼロな人ですので、数や盛り上がり、流行り、キャンペーン、著名人のコメントなど、情報として受け取り認識はしますが、あくまで「では自分はどうか」で選択しています。

街頭の人はその姿と党名が記憶に残るが、選挙カーは何を言っているか正直わかりません。
名前より党名を先に出した方がいいと思います、「今日○○党来てた」と話題にあがるからです。
街頭では話しを聞こうと思っても、一人で止まったら宣伝チラシが寄ってきて、ファンでもないので居づらいわけで、桜が居ると紛れられるから足を止められるのです。
テレビで見かける人は、それだけでもとりあえず止まります、通り過ぎる間に話しが良かったらです。
そこで握手に回ってくると「わわっやばい、回ってくる。」と思ったりし、買う予定のない店頭でスタッフが寄ってくる時に似ています。
つまり、桜が用意できる人はその場を演出できるので、本当に人気な人とそうでない人がいる場合があると思います。

以前その時に応援しようと決めていた党の人を見かけ、誰も近寄っていなかった時、チラシを受け取りに行く瞬間には勇気がいりました。
一度スルーしたのですが、戻って受け取りました、応援している人がいることを党に直接知らせるためです。
アウェーアンチヤローと思われる周囲の視線に耐えなければならない瞬間になる人もいるでしょう。
そんな感じで、一般庶民の私の感想です。

あくまで私の場合です、同じ人がいたら私は「まじかー」と笑うでしょう。


・今回の選挙中の我が家

私は月に1回だけ、自分で質問を設定せずにタロットを展開しています。
玄関に飾っている観音の絵は大きなサイズのカードなのですが、これも毎月1枚引いて変えています。
観音ファンというわけではなく、観音の力を何度も見てきたため、どうも捨てられなかったカードです。

今回の選挙から最終的に日本が行き着く流れは、去年の12月の頭に受け取っていました。
今回はタロットでしたし、「peace」ページで紹介した事例もそうでしたが、重要な選挙の結果は国内外問わず予め教えて貰えることがあります。
必要だから教えて貰えるのですから、私は注目せねばなりません。
今回の選挙期間中は、家庭でもあーだこーだと色々話しますが、私はいつも最後に「まぁ結果は出ちゃってるからね」「その結果の先も知らされてるしさ」「どうなっていくかはもうわかっていることだけどね」などと言っていました。

結果がわかるということは、盛り上がりきれず、結果から驚くような感動も生まれないのですが、自分なりに選挙期間を楽しんでいます。
「もしかしたら、この結果とは違う結果になるかもしれないから」という期待を常に持っているわけですが、人が人の運命を変えられたところを見たことがありません。
何かを知り、経過を見守り、結果が出ると「あーぁ、やっぱりそうなるかー・・・」となっています。
選挙に限らず時々「もー皆上手くやってよー、どうすんのー」「本当にそれでいいのー?!」「本当に皆それでいいのかな?!本当に?!」という場面があります。
選択する権利と自由は何とも歯がゆいものです。


・頭がお花畑

かなり前のこと、沢山のフォロワーがいて、1日に沢山投稿する人の所で「頭がお花畑」という言葉を使いました。
投稿者に対してではなく、コメントの中で使用したものです。
その直後からその人がこの言葉を使用するようになり、いつの間にか多くの人が使うようになっていました。
「ブーメラン」もそうです。
「断捨離」は、この言葉が出てくる2年前程に、何かを教えている時に「捨てる時には感謝して下さい」と伝えていました。
実際の物を整理する時のお話しは、「断捨離」で語られるものとは違うため、違うものとして認識しています。
これらは特に考えて練り上げた言葉では全くありませんが。

「頭がお花畑」の人は、現実を見ず、都合の良い理想や夢ばかり見ている能天気な状態を揶揄する言葉として使われる、と説明されるようになっています。

私がこの言葉を書いた時の状況は、原発が爆発している中、自主避難するかしないか、という時に、スピリチュアルやカウンセリングを営んでいる人から「あなたなら大丈夫だと思ったよー(笑顔)」と送られてきたことを覚えており、現実には自力で生活を立て直すしか方法がない状況で、「被災した方にお祈りします」という言葉を発信しているのをよく見かけていました。
で「生きているだけで大丈夫ではないし、祈っているだけでは何の救いにもならない・・・。」からの「頭がお花畑」でした。

これは頭で考えているだけでは誰の救いにもならない、という意味です。
厳密に言えば、考えているだけの当人の救いにもなりません。

これが「平和ボケ」という意味になったりしていました。
平和というイメージは、平和を知らなければ思い描くこともできません。
夢や理想は、描ける状況や環境がなければ夢を見ることもできません。

頭がお花が咲くほどのポヤポヤしたものでも、それはそれで、その人が平和であった、幸運な人であった証拠です。
残念ながら、そのような人の慰めは軽く、中身がないもので、無感動に通り過ぎるだけであり、受け取った瞬間にそれ以上弱音を呟く相手ではなくなるものですが、それでも発する人は更なる満足を得られたりします。
その人は、幸せな人です。
また「ネガティブはダメ」「暗いのはダメ」という反応は、弱音を吐けない相手、本音を見せられない相手、弱っている人を理解できる人ではない人、によく見られます。
全体を見た時、近年少しは抜けられて来ていましたが、再び二元論に埋没していく傾向も見られます。


私が書き記した「積極的に平和を求める姿勢」に関係しているとしたら、頭で考えるだけでなく、実際に発信したり、行動したりできている人は、「頭がお花畑」には当てはまりません。
平和を語り、それに向かって動く人は、地上で懸命に花を咲かせようとする一輪の花そのものであり、頭で描かれた架空のイメージではありません。
そのため軽蔑する対象になりません。
平和を語る人間がいるから、平和とは何なのかを人が考えられるのです。

その人は弱くもありません。
攻撃的な人が増え、環境も状況も武器が飛び交い、監視し合っている中で、少数派であっても平和を主張することが、どれだけ大変なことなのか、知らない人が弱いと見下すのです。
そのような人については、自分が対象と同じ数であっても大口を叩ける人なのか、極論として自分の意見が自分だけ、たった一人であっても、攻撃している時と同じ熱量で、自分の信念を発信し続けるだけの精神力があるのか、例えば、他者を数で見下す人にいつも思うことです。


・私の夢

私は願い事をしないというお話しをしました。
それは私個人の願望をほぼ持っていないからですが、いつも皆(私と共にいる存在たち)に語ってきたのは、「今度は皆が平和に、穏やかに、誰も傷つくことなく、誰も傷つけずに済む世界を創ろう。」です。
そして沢山の参加者がいるのでそれは100%叶えられます。
戦いに明け暮れる世界からは卒業します。

今回の記事ではまた別の話しをする予定でしたが、長くなりましたのでまた今度話しますが、選挙の結果が出る前に気づいたことがあります。
長い経過の延長線上に今があるわけですが、その上で「いよいよ最終段階に入っているね」と家族に話していました。
今回の選挙もまた、残る人と、卒業する人をわける明確なサインとなったと思いますよ。


あなたの心には戦いの火が灯っていますか?
それとも静かに時の流れを感じられる感覚がありますか?

あなたの中心に平和な核を見出だし続けられますように。
ではまた。