2024/12/22

死生観の更新

先月あたりに私の死生観が更新されましたので本日はそれについて。

前提として、私の死生観は一般のそれとは多くの点で異なっていると思われます。
まず、母親の肉体に受胎する前、つまり妊娠する以前に母親に起きた出来事を知っていたこと。
また、そもそも人として生まれる前の段階、それは恐らく生命の神秘として専門家たちが探しているかもしれない、
人はどこから来て何から生まれたのか、という源を知っていたこと。
ただしこれは私の源であって全てに共通かは知りません。
その段階の自分と、源から移動する時の自分、そして自分の本来の性質でそれはつまり源に極めて近い状態や感覚を知っていたこと。
そして色々と進めていく中で、複数の前世がわかったこと。
また、かつて自分であった前世の存在や死後の自分に今回の日常の中で対面していること。
因みにこれらの対面は普通の日常の中で起きたことであって、特別な日時や空間や手順や修行等はしていません。

死後の人やペットの様子が見えていたこと。
因みにそんな私は、他者の臨死体験などに全く興味がなく、死後の世界に興味をもっていたわけでもありません。
今回生きている期間は特別ですので、死生について深く理解する必要があり、理解する方向に進んできただけです。
知りたい、体験したい、理解したい、扱いたい、といった願望は特別強かったわけでもありません。

その他もろもろ沢山ありますが、勉強したり研究したりして得たものではなく、個人的な経験と必然的な流れの中で得てきたモロモロの結果として、一般の人々とは違う死生観を元々持っていました。

そんな流れの中で今回は、即身成仏を経験しました。
即身成仏と言ってもそれを扱う宗教などによって定義が少しずつ違うようで、私は宗教家ではありませんので詳しくは知りません。
私の話す即身成仏は、その文字の通り、肉体が在りながら中身の本体が本来の源へ還った、という経験を指しています。
これは修行や学びの結果ではなく、今回の人生を必死に生きた結果、説明できないような事態までいって、その先に得た経験でした。
そして運良くではなく、魂として計画的に戻る場所を知っていたため源に戻れたわけです。

それが起きる前に私は身内にそれぞれとの前世での関係性を伝えていました。
事実上、還った私からの最後の遺言の内容がそれになりまして、最後に伝えておかなきゃと迫られた思いだったように思います。

それから数日後、生身の人間程はっきりと見えた人の特徴を伝え、既に亡くなっている家族側の父であることが判明しました。
鎖骨あたりから足首くらいまで見えたのですが、着ている服の色や特徴、体型や様子を伝え、その人物が見えたのがちょうど家族の帰宅した直後でしたので、あなたの父親ではないかとなったのです。
そしてその人物を見かけた次の日の朝、私の家族は肉体の中身であった私が死んでいるのを見かけています。
還る前に考えていたように、私は死に、その方法や場所で家族はその姿を見ました。
前日に見た身内の亡き義父は、事実上のお迎えというものでした。

私の肉体は生きていますし、死後の世界も私の扱う領域内のため自分の本体がどこへ行きどうなったか見届けました。
その後、還った私の本体は戻ることはなく、今は別の状態となって肉体で生き、その時の話しを書いています。
そしてしばらくして、以前から私と共に居た存在たち、その中でも大きな2つがこうなることを示唆していたの思い出しました。
このことを伝えていたのかと、それはもう1年前かそれ以上か、かなり前のことでしたが、それを今理解したところです。
そして更にもっと前には、私が死んだ後から開始すると総勢が話していた内容がありましたが、私の死というのはこの状態のことだったのかと思いました。
肉体の死や、肉体の人格の死ではなく、そういうことだったのだということです。

さて、情報の詳細は省略しています。
それは例えば、他者の臨死体験収集が理解に繋がらないように。
例えば、三途の川や天国に関する情報、死後や魂、神仏などに関する情報、他者の臨死体験の情報といった
事前に入れた情報によって作る空想や想像、肉体が見せる記憶を利用した創作物など、本来必要な経験から得られるものとは違う内容になる可能性があるからです。
口や頭、心だけであれば、即身成仏をしたと言ったり、したつもりになることは誰にでも可能ですが、このようなことに興味がある方は本物の経験をしたいのであって、空想や擬似体験をしたいわけではないはずです。
ご自身にとっての即身成仏を経験された方は、他者のためにもそれは自分専用の流れであって他者には他者のものがあると理解し、経験をひけらかさないようしていただきたいものです。
例えば教祖のようになって同じようにすればこうなれるといった教義など、本来は必要ありません。
逆にこうやればこうなれるんだと他者の真似事をし、発見した人のように振る舞うのもおかしな方向に進むことになります。
後者のケースは非常によく見られると思いますが、それらが本物であれば今頃はもっと理解が進んだ世界になっていたはずです。
様々な結果が出ていますのでわかりやすいと思います。

そんな感じで私の死生観は更新され、新たな視点と価値観が加わりました。