2025/2/28
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世界の分断と源 |
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今回のテーマは以前から時々見かける「世界の分断」と、色々と変わってしまっている見失われた「源」です。 私から見ると全ては一連の大きな流れが淡々と流れていっているだけですが、最近の個人的でもない出来事と共に書いていきたいと思います。 まず書き忘れた出来事。 「死生観の更新」のブログで書いた内容には続きがありました。 ブログを読んだだけでは心と頭の問題であるとする人もいそうです。 ブログを書いて以降、私自身も完全に消化しているわけではありませんでしたが、 いつだったのかもう忘れましたが、お坊さんが現れてから関係が完了するまでの間です。 ある夜、私が「死んでいた」場所に向かって手を合わせてお辞儀をしている人の姿を見ました。 これはもうお墓参り的なもので、それを見た時にやはり自分の本体はあそこで死んだのだと実感しました。 個人的な思い違いなどではない、ちゃんと霊的な世界では認知されている内容であり、その存在は知っている、ということがはっきりしたのです。 書き忘れはこれくらいにして、前回からの一週間の間の話しになります。 仏教世界から本来の意識へ上がり、更に上へと「戻っていった」のですね。 ここに関係するのがこれまでにあった人の運命が定められる瞬間に立ち会ったエピソードです。 その時は運命を定める瞬間、その運命を定めるものが生まれるところ、その運命を定めるものを生むもの、そして定めた後に実際に運命通りになった現実、といったものを観察できました。 そして今回は、その定める運命自体がどうやって決まるのか、どこで決まっているのか、どのように運命は生み出されているのか、といった運命自体が生み出される領域に入りまして、とても眩しい感じでしたよ。 運命とは吉凶、良し悪しどちらもそうである、とは言いますが、生み出している所は美しいです。 そして運命を生み出し定めるそれを見た時「運命の槍だ」と思いました。 その運命が人に定まる時、それが刺さるのです。 これまでの傾向としてきちんと理解する必要があるものについては、使用法や例を実際に見せてもらえます。 私は人々に刺さっていくところを見て「これから沢山人が死ぬんだ」と思いました。 勿論定める運命は生死に限りませんが、漠然とそう悟りました。 そして一度だけ、事例として実際に見せてきたものの一つに、冥界や闇の領域に団体がごっそり呼ばれている様子を見た次の日には、30人以上の人がまとめて亡くなっていたニュースを見ました。 ずーーーっと流れを見てきた私の感想は、「あぁこうやって現実に直接関与するところまで来たんだな」と思いました。 前回の私の最後の手放しが、ゴーサインになっています。 まぁ、これが事実であっても素直にそうなんだとは思わないでしょう、それで構いません。 勘違いしてはならないのは私がやっているわけでなく、人類以外の全てが動いている総意の流れだということです。 それを私は知ることができ、それは教えて貰えるからできているのです。 そしてその運命の槍と呼んでいるもの自体もとても美しいもので、私にはこれが無数に全身に刺さりました。 刺さった感覚はほぼありませんでしたね、きっと刺さっても気づく人はいないのではないでしょうか。 それでもそれが刺さった著名な人々は活発に予定通りの流れで動いており、現実には確実に影響を与えているのが観察できました。 そしその運命の槍が、無限と言える程の数で、そして広く大きく増えていきました。 これまでは運命を定めるものと、定めるものを生み出すもの、までとの関わりでしたが、運命自体が生まれるところと直接関わることになりました。 といっても私はいつも、強力な力や技術を得ても使用してきていません。 ただそれが働いていくのを見せて貰え、その様子を発信したりしていましたが、使用せずにいるとどんどん昇華され更に強くなるのですよね。 ですので能力自慢さんたちの能力は止まっていたりしまして、それは大概、正しく使えそうにないからそこまでなのですが・・・。 すごい人なんですと他の人について話される時もありますが、多分その人そうでもないよと返しますと、いや本当にすごい人なんですよ!となり、何も言えなくなったりします。 私としては信じたいものを信じていればいいんじゃない?自分がそれで本当によいのであれば。ということです。 ただ私を前にしても私の実力がわからないのであれば、そのすごいという人物もどうなのだろうかという自然な疑問は浮かびますがね。 それはその人物がどうなのかではなく、人を評価できるだけの判断力がその人にあるのかという方の疑問です。 それはさておき。 私の背後や周りがビッカビカになっているのを家族が見ているのですが、それが最終的に指輪に凝縮されました。 ということで、人間以外から時々贈り物や授かり物、預かりものを受け取る私ですが、指輪を象徴として受け取る事があります。 これが不思議と、毎回左の薬指なのです。 ただ私からは何も渡しませんので、結婚指輪ではないと思います。 契約や約束、絆や信頼といった意味なのでしょうね。 今回は大きな指輪だったのですが、その中に膨大に拡張増殖した運命の槍が凝縮され入っていきました。 因みに運命の槍と言っていますが、これはこれまでに生み出されてきた全ての霊的存在たち、その原型です。 あらゆる神聖、霊性、そして自然や啓示、知恵などの源、膨大なので個別に見ていませんが恐らくなんでもですね。 それが、私の感覚では「全て戻って来た」という感覚でして、これも受け止め方はご自由にして下さい。 さて、そして指輪の後は地球と光の玉、そして光と同じ色の光る槍が現れました。 ということでこの地球と玉と槍が出てきた時に家族に見せ、あるねーとなったのですが、この時に家族と共に青い服、金色のウエーブのある髪、地球と玉に両手をかざすポーズの女性を認識しました。 「誰だろう・・・」となったのですが、次の日に新しいタロットカードをめくっている時、まーったくそのままの姿と色、ポーズの絵がカードにありまして、その次のカードにはまーったく同じような光る槍もありました。 1つはブリジット(ブリギット)で、もう1つはルーの槍です。 これはケルトの世界にあるものですが、私はドルイドだったこともありましてね、そのタロットを買うずっと前から見えている映像と、ある時現れた仙人のような人物や自然界の存在も、そのタロットの中にありました。 私の感想は「あなただったのねー」です、それだけ。 さて、ドルイドというと、悪趣味な生け贄や魔術などをすぐに出す人々もいますが、私の場合は森の中で杖を1本持っているだけでした。 そしてこのタロットで初めて、ドルイドというのは樫の木という意味だと知ったのですよ。 だから森と杖かということです。 基本的に魔術、儀式、宗教、生け贄、祭壇、などは無くても問題なく、杖1本でなんでもできたという感覚がありまして、今生でもこの身があればなんでもできるという感覚はあります。 それは当然ながらこの身が滅びても同じです。 恐らく大本はなんでもシンプルだったはずですが、源から一人でも人が間に入るとどんどん変わってしまうのです。 ということで、霊的、真実、二極化、多様性、など色々と本来のものから遠くなっている言葉が沢山ありますが、最近は「地獄」ですね。 これがかなり認識が違っています。 今後も色々と表面をなぞるだけの真似事をする人々が莫増する一方になりますので、源からどーんどん離れていきっぱなしの人間社会です。 私たちのいう「地獄」を人類が「これが地獄ってやつか」「これが地獄なのか」「これのことか」と認識できるまで、4000万年から数億年かかります。 この年月は個人差の幅で、他者ではなく自分自身で純粋に発見ができるまでできたことにはなりません。 これまでのように、またこれからもそうであるように、他者の出したものを頭に入れるだけでは終わりが見えないでしょう。 また認識後、それまでのを0に戻すまでにも時間がかかり、そこからやり直しに時間がかかり、最終的にそれが最も慈悲深く最善で最高の配慮であると気づくのか、気づけないのか、というぐらいです。 そのため、私たちの流れを伝えても理解できない、受け入れられない、とても信じられない、そもそもあり得ない、となるのは当然のことであり、想定内というよりは、その方がよいからそうなっているだけです。 霊的な存在や世界は、いつでも、いくらでも、人類に自分達をはっきりと認識させることは簡単なことです。 それはあえてしていないだけで、相手を選んでいるだけなのです。 ですのでわかる人はそれでよく、わからない人もまた、それでよしとしておけばよいだけです。 というように、私たちのいう世界の分断というのは、人間社会のそれを指してはいません。 さて源という本来の部分とかけ離れているのは、私が提供しているタロットも同じです。 啓示であったものが娯楽になり、今では癒しのツールだそうです。 受け方も認識も本来のものを失った全く違うものになりましたね。 ここで一つ人間本意の我が儘を紹介しましょう。 占い師がカウンセリングするようにお客様とやり取りをした場合、それに対して人が投げる言葉は、情報を聞き出している詐欺師である、本物は黙っていても当てる。 そして何も聞かずどんどん情報を出していくと今度は、リーディングだけで精一杯でお客様を置いていき、カウンセリングは必須なのだから占い師は未熟である。 このような批判自体が何とでもケチをつけられるのですから、どうしようもないですね。 タロットは啓示ですのでそれを純粋に正しく受け渡すのが本来の姿です。 読み解けない人が情報を欲しがるのであり、情報が必要のない人の能力をひがんでいるだけです。 この2つを並べるだけでも人本意の我が儘さがわかりませんか。 そして聞きたいことを聞きたい、知りたいことを知りたい、聞きたいことを聞ければよい、といった情報サービスのような受け方をする方も沢山いるのが現実ですが、これは商業化された占いサービス業の当然の末路でしょう。
しかし残念ながら、このような本来とはほど遠く、本性が能力者への批判で一杯の人がタロットを使用していることが多くなりました。 霊的な領域同様、占いの領域もどんどんおかしくなっていっていますが、これもまた、知らなくてよい人々が本物に辿り着けずに終わるよう計画されている予定の一つです。 私は今後もブツクサと我が儘な叩きが出てくるかもしれませんが、本来の啓示を霊媒として伝達する方向でやりますよ。 それから「破壊と創造」についてですが、「創造には先に破壊が必要」「破壊と創造は表裏一体」とよくあります。 そしてそれが絶対的で普遍的であり、永遠に続く無限の輪である、終わりと始まりとして、様々なものに語られ、タロットでもそのまま象徴と意味として使用されているものがほとんどです。 今回破壊と創造についてそれはそもそもはセットではなかったという理解を得、死生観同様に私の認識が変わりました。 この破壊と創造をセットにした世界観で生きている方は、破壊のある世界からは出ることはできないでしょう。 そしてその世界は世界観が力説するその通りに、それを繰り返す無限の中にあるでしょう。 さて、長くなりましたので最後です。最近の世界の「今ここ」。 「とっても大きな黒いのと、とっても大きな白いのが、まーぜまーぜして、黒いのが片手でザーッと落としていくと、たまーに光の粒子をまとった人が引き上げられるようにフワフワ浮かんでくるんだけど、白いのが指差して、それはいいと合図すると、黒いのがパシッとはたき落としてそれで終わるの。」 というのが最近の世界の様子です。 そしてそれが何日も続いており、継続中で、どんどん落とされていっています。 更にそこに運命の槍が大量に注がれ、状態が固定される時もあります。 ということで、説明は長くなるのでこれで終わります。 流れは毎日ずーーーーっと脈々と続いており、それは止まることもなく、そして忘れた頃に続きが見れたりして全てが継続中であることを思い出させます。 それではまた。 |
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