2025/2/4

地蔵菩薩の訪問

今回は地蔵菩薩が訪問された時のお話しです。
仏教の菩薩さんですが、私は特定の宗教には属しておりません。

地蔵菩薩は、釈迦に無仏時代、如来がいない時代を任されたものとして伝えられているようです。
複数の世界を行き来して、地獄でも救済に行くという存在。
閻魔の地獄裁判から救済してくれる存在や、閻魔と同一であるとするものもあります。

表だって知られることはありませんが、私がやってきた働きと似ています。
世に出ている矛盾の多いお話しよりも、個人的に重ねてきた体験談の方が大切ですので、豆知識はここまでです。

地蔵菩薩が訪れたのは体調が絶不調の時でした。
ある日、いつも通り家の事を含めた朝のルーティンを始めました。
食器を洗っていると、玄関からフワッと白い人影が入って来たのが見え、触れると温かかったです。
階段で1度、ミシッと音がした時、その人が階段に座ってこちらを見ているのがわかりました。
私はまたその辺りを確かめに行き、入り口で感じたのと同じ温かさを確認し、少し話しました。
朝の話しの内容は今回お世話になった病院についてでしたが、あまり良いお話しではないので省きます。
朝の時点ではその人物が何者なのかはっきりはわからず、高さ、体格、姿勢、男性性であることがわかったくらいです。

その日の夜、夢を見ました。
実際は脳が見せる記憶などの夢ではなく、肉体が寝ている間にこの時に行った場所といいますか、そのような空間です。
灰色の石が敷き詰められた砂利の土地に、自然に生えたような斜めがちな樹が少し生えていたりする、外の空間です。
真っ暗な空間で、うっすらとそれが見える位、夜よりも暗い空と言いますか、星や月や明かりなどは全くありません。
そこには私以外の人もおり、昔の人が家で着るような軽装のペラペラな和服で、石を積んでいる人もいました。
皆子供~青年位の若さで、真っ暗なのですが複数の人が居るのを知っていました。
それで一斉に寝る時が訪れ、皆その場で倒れて寝るのです。
私もパタと横になっていると人が歩いてくる音がしました。
ジャリッジャリッと段々近づいて来て、私の足の横辺りで止まったのです。

そして私に言うのです「修行をサボっていたな」と。
私は体調不良になってからというもの、タロットの解読や、メッセージの発信をしないどころか、
もうこの仕事を続けるのは身体的にも難しいだろうなという状態でしたので、放置状態でした。
それでもせめて家の事はちゃんとやろうと努力していたのですが、私がやるべきことはそこではないということです。

その人物は長い棒に、上の方に丸い円が複数ついている物、錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる物の先で私の鎖骨辺りをグイグイ押すのです。
「苦しい!やめて下さい!」「痛い!やめて下さい!」といくら言っても全然やめてくれません。
実際めちゃくちゃ痛いのです。
グイグイやられている時に六地蔵の一体が見えました。
六地蔵の六つの姿は六種類の世界を行き来できるというところからきているようですが、ようはその一つのこの世界に来ている時のものということです。
見えている石像の襟元の形を私の体に刻もうとしているのです。
地蔵菩薩としての生きざまをこの身に刻むようにグイグイやっているのです。

そして「先生!これでは体罰になっています!」と叫んだ時、ふと目を覚ましました。
これでわかるように私の一部は地蔵菩薩に弟子入りしていたようです。
実際、日本で生きていた時の過去世の自分にあっていますし、どこかで繋がったのでしょう。
そして今回の生ではかなり前に「あとは仏教」と言われていましたので、仏教世界の存在との接触は自然です。
なにより私が育った保育園には六地蔵がありましたし、観音様には神通力の存在を体験を通して教えられたりし、今生は仏教が時々絡みます。

そして目が覚めた時に目の前に見えたのがお坊さんでした。
私の目が覚めると押していた杖を引き上げ、持ち直していました。
僧侶の格好をして大きな托鉢笠(たくはつがさ)を被っており、顔は見えません。
地蔵菩薩は人間界ではお坊さんの格好をしていると伝えられています。
しかし私はそんな詳細は知らず、地蔵が見えた事も忘れ、ただ痛かったのと、人間霊が入り込んでいるという状況に加え、体調絶不調です。
「誰だ!あっち行け!何で人間霊が入り込んでるんだ。この坊主め!迎えに来たのか!私はまだ死なんぞ!」
などと、などと!言い放ち、シッシッとしてしまいました。
地蔵菩薩は私が目を覚ました時から撤退モードで、そんな私を尻目にゆっくりと去って行きました。
これが地蔵菩薩だと気づいたのはその日の夜で、色々振り返り、見えた物から仏教情報を検索した結果、色々と合致し、あれはそうだったんだねと気づきました。

でも杖は点ですが、押されていた時は線でした。
それは起きた時に私の両手が喉のすぐ下でクロスしていたためです。
普段はそんな所でクロスしません。
そしてその私の手を杖で押していたので、自分の手で線上の痛みをくらっていたのです。
気のせいではと思うかもしれませんが、起きた瞬間には杖の先が私の方を向いていましたので間違いありません。

とまぁ体験談はこの辺にして、このお話しをしたのは次の事を書くためです。
「ポイントがずれていると全く評価されていかない世界」

タロットをやっていると必ず一人に一つはその時の課題が出てきます。
それが結構ピンポイントで幅が狭く、ご本人がどんなに努力しても、ポイントがずれているといつまでも同じような話しをすることになります。
週に一回でも、数ヵ月に一回でも、一年に一回でも、カードの種類を変えても、クリアするまで同じような内容をお伝えしなければなりません。
カードがそのように出ますので私が内容を変更するわけにはいきません。

例えば今回のお話しのように、お仕事をしなければならないのに、家事を一生懸命やっても全く評価されません。
私の場合は全てがわかるようになる時に、その代わりとして「どんな状態でも、どんな状況でも、どんなにボロボロになってもさせ続ける。」と前もって言われていました。
また一つ前の家に居る間に、大きな大仏のような頭だけが部屋に在ったのも思い出しました。
あれは地蔵の頭で、ずっと見張られていたようです。
今考えてみれば、頭に髪の毛のようなものもないので、坊主だったのです。
何のために頭だけ居るのかと思っていましたが、その理由を今になって痛感するのでした。
それもあって、体調が悪くても続けることが責務となっているため、怒られることになったのですね。
ただこの地蔵菩薩の訪問前に、別の神性に「私との繋がりは断たない方がいいわよ」と助言を貰っていました。
それは私が個人的な探究も含め、全てをやめようと思った時です。
それは一見、脅しや恐怖、支配によるものからと思われがちですが、単に全てをやめると私が怒られるからなのでした。
そしてもっと前、ホワイトライオンと星の旅を始めた時にも「始めたら止まることはできない」と言われてスタートしたのも思い出しました。
霊的な学びを一時的にかじり、中途でやめた人々の残念なまでの堕落具合は直接目にしてきましたが、真の探究には覚悟と責任が要るのです。
例えばこのような情報を見聞きしているだけで知ったつもりで分析をしている人々などは、中身が空っぽなので、全く注目も期待もされていません。

それはさておき、ポイントがずれているとはどういうことかと言うと、例えば足の筋肉を鍛えるのが課題なのに、足以外を鍛えるというもの。
特にポイントがずれる人は、足だけを避けて他を一生懸命やり、やっている、やった気になっているものです。
例えば機械のコードに異常があり、電気が通りにくくなっているのに、機械や通信環境やソフトやウイルスなど、別の原因を探して一生懸命に対処しているつもりになり、たまたま電気が通ると直ったと思い、また通らなくなると同じように原因に対処する。

そんな感じで「そこじゃない感がはんぱない」のですが、それくらいはっきりしているものでも当人はわからなかったりします。
一年続け、一年後の見直しで同じことを言われる。
人によってはそれを一生続ける、それに一生の全てをかける、なんて人もいるでしょう。
あるいは前世や未来世でも同じ課題に取り組んだりします。
ある家族は何世代にも渡って皆が同じ課題を持ち越している、というのもありました。
その家系には課題を解決できる人材や、その助言や導きを受け入れられる人材がいなかったり、そもそもその課題を認めることさえできない状態で、そのような人々も実際に居ます。

そのような厳しい現実がありますので、タロットで自分が注目すべきポイントを知る事は非常に有益です。
イノのタロットでは会員制にし経過を残していきますので、定期検診のように時々チェックすることが可能です。
人生の最短は、近道はありませんが、ポイントがずれなければ最短で最長を進むことは可能です。
先程のように知識をかじっているだけの人々は今後も増え続けるでしょうが、それはこの部分については足踏み状態と変わりありません。

個人的なミッションとしては、地蔵菩薩の弟子となっている自分の一部をそこから離れさせる段階がそろそろ実行されるところです。
皆さんは日常で何に取り組んでいるのでしょう。
助言や導きを求めるのであれば、私のように自力で課題をこなしながら実際に進めている人材をおすすめします。
自身ができておらず、知識と技術だけは立派という場合、それはやはりできていない人なのです。