2025/2/17

回復・ミッション完遂

なんと、体調がほぼ全回復しました。
その間に前回のブログに書いていた地蔵菩薩や仏教との関わりについて思い出しました。
更に前回の最後に書いていた
個人的なミッションとしては、地蔵菩薩の弟子となっている自分の一部をそこから離れさせる段階がそろそろ実行されるところです。」
このミッションを完遂しました。

ということで、一区切りついた最近のお話しなどをしてブログとしても仏教から離れます。

「あれ、そういえば・・・昔仏教系あったなー・・・」
とふと思い出した始まりは、前世ではなく今世の20年程前の事です。
そもそも対面した前世の自分は仏教ではなく神道でしたので、どうもスッキリせず、ひっかかっておりました。
というように、私は日々、真相解明を進めております。

前回お話しした地蔵菩薩の訪問も睡眠中から始まり、現実にも居たという流れでしたが、始まりも睡眠中でした。
私は仏教に興味がありませんでした、保育園や地元の影響でお地蔵さんと観音さんは身近ではありましたが、仏教自体には興味は持ちませんでした。
それは今もそうで、「あとは仏教」と言われたため本を購入したものの、真面目に読めませんでした。

そんな私ですが、こんな場所に訪問しました。
空は水色で明るく、左には木造の汚れのない大きなお寺やお城のような建物があり、そこの廊下に立っていました。
左前には扉やふすまなどはなく、きれいな畳が敷き詰められた和室があり、
部屋の前方には一段高いスペースに座布団と小さな机があるようなシンプルな部屋が見えます。
最初は誰も居ませんでした。
そして私の右側、廊下の下には遥か前方から後ろまで、透明で空の水色が反射しているかのような細い川が流れており、
川底の丸い石も見え、私からはそれはあまり深くないように見えました。
その川には沢山のマゼンタ色の蓮が上から下へと流れていました。
そして右前にはその川を渡す木の橋がかかっており、建物と同じ材料で汚れがなく、立派に作られていました。

そのようにその環境を一通り認識した頃、橋の向こう側から沢山の見習い僧侶たちがゾロゾロと歩いて来て、左前の空いている和室に入って行きました。
みな白いシンプルな和服に坊主姿で、何か本のような物を持っていました。
そして和室の中が人で一杯になる人数が座り、本のような巻物のような物を開きながら、その前方の一段上に来るのであろう師を待っていました。

で、問題は私です、私はその中には入れないようです、そう悟ったのです。
そして私はなんと、私服です、この時は修行僧ではなかった!
そして紺色の表紙の分厚い本を、いつの間にか持っている事に気づいたのは坊主達が座りきった後のことです。
それをパラパラとめくっていくと、全て白紙でした、何も書いていなかった!
そして私は悟ります「あぁ、まだ何も学んでいないんだ」「私は何も知らないのだ」と。
そう思ったところでその訪問は終了しました。

その後は様々な宗教、世界観、伝承などの存在と関わっていきましたので、仏教はその中の一つでしかありませんでした。
ナマの現実では、仏教とキリスト教は対立的ですが、私はキリスト系の大聖堂の牧師だったこともありますし、
協力してくれる仲間たちはどちらもおりますが、それらの対立は見たことがありません。

そんな感じで覚えていたのは20年前の訪問でした。
はっきりしているのは、その時は修行僧の師の姿は見れませんでしたが、それは人間であることはわかっていました。
そして20年程経った今では、地蔵菩薩に直々に弟子入りしていたという状態だったというわけで、その間に何があったのでしょうか。

ただ前回の痛い話で、もう仏教なんて嫌だと、元々興味のなかった私はうんざりして「こんなとこ出ていくわー!」となったわけです。
宗教家や信者の死後をいくつも見てきた私にとっては執着する必要のない世界の一つです。
誰も前回の話しを聞いて、そうか仏教が良いんだとか、自分も仏教を学ぼう、とは思わないでしょう。
思ったとしたら私は「なんでそーなるの?」と聞くでしょう。

今回は「もう死ぬかも、さよなら。」と家族に言う程体調不良になりましたが、そのお陰で地蔵菩薩本体が出て来るところまで行きました。
私は自分で体験するまで何も信じませんので、地蔵菩薩が実際に居ると確認できたのも病気のお陰でしょう。

そして私が関わっている、今この世界に生きている人間と、亡くなっている人間の総数よりも遥かに多いであろう仲間(家族?)たちは、
どれもこれも「人間なんてもうどうなってもいいよ」というくらい無関心な状態で、
対人のものをしていても協力はしてくれますが、しれっとしている感じでした。
ずっとそうなのですが、人としての経歴も長い私には人としての慈悲というのが最後の最後まで残っており、
見放され切っている人類はこのままではまずいので、見て見ぬふりはできないとヒントを放ってきました。
しかし地蔵や観音のように、俗世間に降りて行って人々を悟りへ導き、一身に苦を引き受けるようなことは、
もうする価値ないだろうと思える出来事がありました。
たまたま見かけたソレが、私に終わりを決意させまして、それもあって地蔵から離れられました。

俗世に降りて負を受けるというのは、私が占いではなく霊的に人をみていた時、家族に言われてはっきりしたことですが、
相手のオーラは数段階上がり光輝くのですが、私のオーラは酷く暗くなり、内蔵が悪くなる程ダメージをくらっていました。
これは私の普段の感覚で霊媒として話しても、言葉少なく、価値観や経験の違いから一般には通用しませんので、
対面した方が認識できるものや、イメージできるもの、確認できるものでと話しを進めていくのですが、これが次元を降りて合わせているということです。
例えばこの記事で、「人への慈悲をやめた、周りは人を見放している、なんて悪人だ。」と思う人もいるでしょうが、
残念ながらそれをいちいち説明する必要は、ありませんので、ご自身で彼らや人間以外の世界で直接聞くか、教えて貰える人材になって下さい。
また啓示やヒントを受けとると流すのですが、都合が悪い人々やこの分野が嫌いな人々は攻撃や妨害をしてきたため、最後の慈悲も虚しいものでした。
それでも20年は続けていたのですから、十分ではないしょうかね。
そしてかなり前に「あなたは人の犠牲になる人生が多かったから今回は好きに生きてそれが周りの人にとってよい影響になる」と言われたのも思い出しました。
それを伝えた人は、初対面で何も話さなくても私の次元の高さを見抜き、話す量が少なかったですが十分確認できました。
ごくたまに、私の正体に気づける人に出会いました。
間接的に知人が「強烈な光と交流しているのがわかる。5次元とか6次元とかそんなレベルじゃなくて、もっともっと高い人。その人絶対いい人だよって言われた。」というエピソードもあります。
面白いですよね、わかる人にはわかる、わからない人にはわからない。
たまに出会う能力の高い人にはそのように見え、能力が無い方には時々悪人に見られます。

と色々ありますが、話しを戻して、今となっては「くだらないなぁ」と思うくらい、そこはもう終わったのです。

そして地蔵菩薩から離れ、最後の慈悲も手放した時、私は本来の高く明るい所に戻りました。
明るく光輝き、言語のない世界です。
といっても、これは一瞬通過した以前には居た次元です。

ここ何年もの間、冥界や地上の古い土地などから既に亡くなっている世界の王や長たちなどに関わる時期を過ごし、
新しいタロットを試したり、ふと入ってくる、わかってしまう情報が今生きている世界のリーダー的な存在たちに関わる内容になっていきました。
しかし元々、どこの誰で、何をしている人なのか。
何を言っていて、何をしているのか、などは人をみる時には参考にしていなかったのを思い出しました。
私が見ていたのはその人間の本質、無意識レベルの本性です。
そして形、色、音、香り、言葉、動き、などこの世界で参考にする全てが無い世界に戻り、そこを管理している存在に会えました。

私がその場所へ訪れた時、「ようやくここに戻って来た」と思いました。
そしてその時にあった言葉は「言葉遊びはもう終わり」です。

そもそも話している内容など全く参考にしていなかった私が、情報に溢れた社会、情報で人を操作しようとする社会をみてきた事で、
言葉を読む機会が増えたのです。
そもそも私には要らないもの。
しかし一般の人々には言葉無くして何も伝えられませんからね、最後の慈悲は言葉で表現していました。

そうしてほんの一時、なつかしい場所で「そうだった」と過ごし、直ぐに更に次元を昇ったのですが、今回は長いので書きません。

しかし!しかしです!
私は本当に地蔵菩薩や仏教の世界から出られたのか、自分を疑っていたわけです。
「そんなことあるわけないだろう!妄想だろう!お前はやばい!」
これは私が自分に言った言葉たちです、自分自身さえ疑うことは重要でしょう!
自分が勘違いをしてたり、想像や妄想であったり、解釈を間違えていたらとんでもないことです。
私は何日もの間、地蔵菩薩からも仏教からも離れられてはおらず、また怒りに来るんじゃないかと思っていました。

しかーし!私ですからね、最後はちゃーんと完結するのです。
丁度昨夜、深夜にはっと目が覚めました。
私の布団の足元には冷気を遮るアルミボードが立ててあるのですが、その向こう側に「誰か居る・・・」
「・・・・・!あ!また坊さん来てる!!また怒られるーーー!」と思いました。
そんな私の感情と思考とは何とあてにならないことでしょうか。
私が地蔵菩薩坊さんだと認識すると、彼は私に一礼して去っていきました。
前回の踏みにじるように私の体の上に乗り、グリグリしていた存在と同一とは思えませんね。
ごくごくたまーに、態度が悪く、礼儀の無い存在も居ますが、最後にはいつも改めます。
改めないのは生きている人間くらいです、気にしませんが人の態度というのは珍しいものなのです。
今回の場合は私がうんざりすることが必要でしたので、ちょっと荒くしたのかもしれません。

そして「ちゃんと終わってたー!!良かったーーー!!」と実感するのでした。

私は体験の中で時々思うのです、それは他者の分析や解説や推測を読んでも思う時があります。
人間の想像力って本当にあてにならないんだよなと。

というわけで、復活してミッション完遂しました。
この先はまたいつか。